「アナと雪の女王」は同じ作品なのに、なぜ再び見たとき、違う作品に感じるのか。

今週は非常にドタバタした一週間でした。あっという間に時間が経ってしまいました。

 

もちろん仕事が単純に忙しかったと言うのもあるのですが、それ以上に夜のお付き合いが非常に多く、肝臓を壊してしまいそうなほど・・・。まあ夜のお付き合いも仕事とはいえ楽しかったから良いですけど。

 

サラリーマンでいることのいい点はこういうところですよね。会社の経費で、また会社の看板を借りることで、普通に過ごしていたら話ができないような人と、お付き合いをすることができ、またそこから多くの学びを得ることが出来る。つまり、サラリーマンでいることでしか味わえない、できないような経験もある訳です。

 

もしこれが、私が独立した個人事業主や会社の社長だったりすれば、夜のお付き合いもまた変わってくるでしょう。相手もそういう視点で私のことを見てくるでしょうし、私もまた今とは違った視点でお話をさせて頂くことになると思います。

 

今しかできない経験ができる。だから、もうしばらくは経験として勉強がてらブラック企業にいてもいいかなと思っています。とはいいつつ、会社内での仕事は本当に上司に振り回されているばかりで何の経験にもなっていない気がしますがね。

 

まあ、何かを得るために、何かを失っているという形でしょうか。周りにもよく言うのですが、日々、何か大切なものが削られて行っている気がしますが(笑)、まあそれはしばらくは我慢しましょう。あの野郎は、無理難題を自分の都合で押し付けてきますからね・・・何人が再起不能になりやめて行ったか・・・そう言う僕も、実は、上司に見えないようデスクの下でファックの構えをするというささやかな抵抗で自分を失わないように日々耐え忍んでいます(笑)NARUTOの主人公うずまきナルトも言っていましたしね、「忍びとは、耐え忍ぶこと」なんだと。もちろん僕の職業は「忍」ではないですが。

 

・・・と、まあこんなことをここでつらつらと書いていても仕方が無いので本題にうつりましょうか。

 

実は昨夜、以前映画館で見た「アナと雪の女王」と言う映画を、久しぶりに自宅のテレビで見たのですが、ふと、こんなことを思いました。

 

「あれ?・・・こんなんだったっけ?」

 

もちろん話の内容は変わるはずはありません。けれども僕の目には違う作品にうつった。なんかものすごく違和感だらけですんなりと物語に入って行くことが出来なかった。もちろんブラック企業に勤めることにより、日々大切な何かを失っているので、ついに末期症状が現れたといってもいいのですが、それを言ったらきりがないので、それはとりあえず隅においておいてこれは何故なんだろうと、僕は考えた訳です。ここに何らかのビジネス上のヒントが含まれているのではないかと。

 

振り返れば、今回僕がみた「アナと雪の女王」・・・同じ作品なのに、みる場所、みる時間が違っただけで何か違和感を覚える作品に思えたわけです。ではなぜそんなことが起こったのか・・・・。この理由を書き出せばきりがないのですが、まあこんなところでしょう。

 

・以前は映画館で見た(場所の違い)

・以前はブームの時期と重なり周りが熱狂していた。(時間の違い)

 

まとめると場所と時間の違いです。場所とは映画館で見るのか、家で見るのかの違い、時間と言うのは例えばその時代など、周りの熱狂具合、空気感といったところでしょうか。

 

やっぱりね、周りが熱狂していると熱狂してしまうんですよ。つまり巻き込まれてしまうんです。逆に周りが冷めていると自分も冷めてしまう。人は誰でも、知らず知らずのうちに周りに影響されて行きていると言う訳ですね。

 

これは非常にビジネスでも役立ちます。だから巻き込んでしまえば良い。ではどうやって?・・・それに対する解は人の数だけあるでしょうし、ここで僕が出した答えを言ってしまっては元も子もないので、あえてここでは僕なりの答えは言いませんが、あなたも考えてみてくださいね。

 

いずれにせよ「どうやって?」という発想はものすごく大切ですから。

 

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